思い出日記4

思い出日記4

私情を捨てなさい。

セルフプロデュースという物が苦手だ。

 

全然よくわからない。

 

例えば僕はこれからゆで卵を作ってゆで卵屋さんになります。

として、

それを売る為の方法や、宣伝の仕方はたくさんあって、その中でも自分、つまり僕に、ぴったしな最適な物、やり方などがあるはずではなかろうか。

 

そう思った時、

赤の他人の売る姿は想像できても、

こと自分の姿となると途端にモヤがかかってしまう。

 

というより、

精神が、脳のどこかが自分の事を客観的に見る事を拒否しているような気持ちになってしまう。

 

もし、普通の人と違ってとんでもなく的外れでなおかつとてつもなく恥ずかしい行いをしているだけになってしまったらどうしよう。

というような妄想が思考の手前に段差を付けて決断のスムーズな上り下りを妨げているのだ。

 

困ったものだ。

 

 

基本的に自分自身に自信が持てない。

という所に起因すると思っているのだが、

最近ある尊敬するべき人に

お前はもっと自信を持て。

と言われた事がある。

 

今はそれが少しの火種になって自信という火が上がる前の細い煙になって精神を支えている。

 

とはいえ、

自意識過剰な、この俺が、

本当の本当に自信がない、わけはない。

 

なんなら自信過剰、己のセンスはいつでもどこでも発揮されて何かやらせればまぁまぁできる。

と思っていた所があった。

今も少しある。

 

しかし世界は広く3Dである。

横があれば上も下もいるものである。

 

自分の全力が赤の他人の平常運転の速度である事が目に見えるようになればなるほど、見ないようにするという事を続けて来た結果だ。

 

つまりは単純に逃げ癖なのだった。

 

 

セルフプロデュースは、私情を捨てて、一個人としての魅力を最大限高める行為だと思う。

 

自分自身を全うするには、

ただ生きていればいいというような単純な話ではない。

 

世間や対人関係に揉まれながら変形していく自分を見つめて、手を加え時に守りながら、時に変形に身を任せながら、付着する無機質な物体を丁寧に削ぎ落として行く作業なのだと思う。

 

何を言いたいのかよくわかりまへんが。

 

 

それでね、

それを踏まえて、

信頼できる他人の目。

ってゆう武器の存在がより光ってくる、昨今なのであります。

 

みんな、私の武器になってくれ。

私もみんなの武器になりたいから。