思い出日記4

思い出日記4

ふわふわ

未来の事など誰にもわからないのに

、事あるごとに疑いをかけては絶望の淵に立ってるかの如く人生に悲嘆し、日がな一日部屋にこもり、夜な夜な這い出しては人気のない道路でコンビニ酒を飲み、我ここにあり。と、草木も眠る真夜中3時に這い出てきておいて、我ここにあり、もくそもないのにである。

 

しかし、実際の所というと、

まさに行く当てのなし、信用も保証も無縁の流浪の民の様な気分の自分が嫌いではないのは確かな事である。

節目節目に逃亡の選択を取りつづけてきた自分としましては、

責任やら、使命などという類のものはほとほとごめんである。

 

他人には頼るが自分に対する期待や責任は皆無という救いのない精神状態をそろそろ気にし出して来たのがこの頃である。

 

先日、28という曲を書いた。

ただ、28と言うだけの曲なのではあるが、なかなか28歳の今、28と連呼する歌を歌うのは気持ちが良いものだった。

 

覚めても暮れても目の前に横たわるのが現状というものでありますが、

それはもう必死の形相でそこから目を背ける為のYouTubeも、もう、見るものがない状態にまで届ききってしまったように思われる。

というのも見ていてとても落ち着かぬ、見れ見るほど人間の尊厳を無くしていっているような気さえするのである。

所詮他人の人生である。

YouTubeを見ている間、私は他人の人生を生きている錯覚に落ちているのである。

 

そんなことを考えながら、

またYouTubeを見るという行為も、自責の対象になるわけである。

 

みんな、自分の人生生きようねー。

 

 

って感じでっす。